人生最後の長い長い夏休みー30歳からはじまる双極性障害Ⅱ型との付き合い方ー

29歳の私。病気が原因の退職ではなかったはずなのに、実は病気だった。。。それからの私の病気との付き合い方。社会復帰への道。もっと昔から病気の兆しがあったのかも。両親の理解と両親への感謝。などなど

旧:通院1日目へのプロローグ(~2017/5/8)

こんにちは。


今日は1日上がることも下がることもなく、過ごすことが出来てます。


ので、過去を振り返ってみたいと思います。



わたしが最初に心療内科に通院をしたのは、いまから220日ほど前の今年の5月です。


そのときわたしは1月末で仕事を辞めて求職中でした。


前職は旅行会社で、といってもまだ勤めて10か月ほどのスピード退職。実はこれが3回目の転職で、いまは4回目の転職になるところでした。


仕事を辞めた理由は様々ですが、この前職に関しては人間関係によるもの。
もともと自分を含め3人しかいない営業所(2人は古株)で、逃げ場がなかったのです。


仕事上のミスをさんざん指摘されて、わずかな期間でしたが、身も心もすり減っていました。
詳しくはまた別の機会に書くことにします。


そんなわけで、特に未練もなく退職をしたのですが、実はこの段階では病気の診断はおろか、通院もしていませんでしたし、周りも含め自分が病気だなんてこれっぽっちも思っていませんでした。


ミスの指摘の多さにも、「いや、細かすぎるやろっ」とむしろ相手に非があると思っていたくらい元気だったんです。



退職後は意気揚々とハローワークに出向き、仕事を探したり、家の近くにあるなら派遣でもいいや~、とさくさく仕事探しをしていました。


退職日直前くらいに目をつけていた気になるお仕事があったのですが、そこは書類選考で落とされてしまい、数日落ち込んだこともありました。


それでもなんとか仕事を探し、なんとか無事正社員の仕事が決まったのが確か3月の中頃。
地元の中小企業での事務だったんですが、家からも近く、福利厚生も特に問題なし。
転職続きのわたしを採用してもらったことに感謝しました。




・・・が。
その後わたしがこの会社に勤めることはありませんでした。


入社日の1週間ほど前から、仕事に行くことが怖くて怖くて怖くて、たまらなくなってしまったからです。


「行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない・・・・」


毎日呪文のようにぶつぶつつぶやいたり、泣きわめく日が続きました。



行かなくちゃ、という気持ちと
行きたくない、という気持ちが混ざり合い、なんとも言えない日々を過ごしていました。


最終的に、こちらの会社は直前に辞退をするということになったのです。



そして、1度あったことは2度あるというべきか。


翌月4月半ばに再び仕事が決まりました。
今度は契約社員のお仕事です。


家からも近く、福利厚生もよい。
正社員というプレッシャーもなく、のびのび仕事ができそうだ。大手の子会社だし。



・・・が。
その後わたしはこの会社にも勤めることはありませんでした。



「行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない・・・・」


ここは、入社がGW明けの予定だったのですが、こんな状態が続きました。



わたしはそもそも働きたくないのだろうか。
しばらく働いていなかったから、働く気になれないだけだろうか。


と、冷静になったときに考えることもありましたが、
それ以上になにかこう体につきまとう不安や恐怖みたいなものを感じるようになっていました。




見かねた母親に受診を進められたのが4月の終わりごろ。
叔母おすすめの病院が2つあったのですが、近い日付で予約がとれたクリニックの心療内科を受診することになりました。
といっても、GWを挟んでいることもあり、約10日ほど先。


さらに言えば、まさか自分が心療内科や精神科にいくことになるなんて想像もしていなかったため、その事実に落ち込んでしまいました。
病気だなんて思ってないし、思いたくないし、病人扱いされるのもごめんだし。
でも、ただの求職ストレスにしてはおかしいよな、という考えもほんの少しあり。


(病気じゃなかったとしても、)話聞いてもらったら楽になるよ。ついでに元気になるお薬もらってくればいい。


という母の言葉に、思い切って診断を受けることに決めました。



それが今から7か月前のことで、ここからわたしの療養生活も始まりました。