無職317日目/通院1日目へのプロローグ(~2017/11/27)
こんばんは。
さっきカウントしてみて、自分でも驚きました。
実のところ、わたしはいままで3度があるうえ、いずれも次が決まらないまま(決めないで)退職しているので無職だった期間がその都度あったのですが、こんなに長い期間無職なのは初めてです。
タイトルは美化しすぎ感ありまくりで、ぶっちゃけただのニートな引きこもり、です。
もちろん病気療養してる期間も含まれるのですが、そんなの世間の皆様には知ったこっちゃないですよね。
療養中に勝手に通院と薬を止めたこともあります。
無職になって半年が過ぎた8月末ごろのことです。
通院を始めたのは、仕事を辞めてすぐではなく、しばらくたってからの5月からなので、通院期間としてはわずか100日ほど。
薬と通院を止めるきっかけになったのは、その1か月ほど前の7月下旬。
このときわたしは双極性障害の診断を受けてはいましたが、仕事に関してはやりたいことがあるんだったらやったらいいよ、と先生から言われていました。
とゆーか、やりたい仕事をみつけて、ここで働きたい、という気持ちをもつことができていました。
このときの薬は、
ラミクタールとサインバルタで、月1回の通院で徐々に摂取量を増やしている段階。
症状をみつつMax量まで増やしたら、今度はどんどん減らしていく。という説明を受けていました。
まだ寛解の段階にすらいってなかったのですが、病気うんぬんよりやりたい仕事につけるチャンスだ、と思っており、身体のことは鑑みていませんでした。
そしてなにより、無職半年ということが焦りを生んでいたのは確かです。
この類の病気には焦りが一番いけない、ということをいまいち理解できていなかったのです。
書類選考も通り、面接もわたしとしては手ごたえはよかったように思います。
ただ、病気を隠して仕事につく、ということは避けたかったので、ぼんやりとですが、そのことも伝えました。
精神的な病気でしばらく休養していたこと。
月1で通院が必要なこと。
主治医からは就業のOKをもらっていること。
などなど。
それに関して、つっこんだことは聞かれませんでしたし、
わたしとしても、そういうことに理解のある職場がいい、と思っていましたので、クローズはしませんでした。
面接を終え、その2週間ほど後に職場見学もしました。
これはぶっちゃけ決まっただろう!と鷹をくくっていました。
・・・結果は不合格。お盆を挟んだこともあって、結果の連絡が来たのは職場見学から3週間ほどたってから。トータルで1か月ほどかかってしまいました。
その間に受けていたのはここだけでしたし、病は気からとでもいいますか興味のある仕事ができると思っていたわたしは、うつ症状もほとんどなく、ここ4か月の中ではいちばん元気そうにしていたと、両親はいいます。
この不合格はそんなわたしをうつスパイラルに引き戻すきっかけになりました。
この結果の翌週に受診の予約をしていたのですが、わたしはいけませんでした。
絶対にいかない、と言いはり、家から出ようとしなかったそうです。
仕事が決まらなかったことを病気の、そして先生のせいにしてしまったのです。
病気じゃなかったら、先生があんな診断を下さなきゃ、通院してなかったら、薬を飲んでなきゃ・・・
結局母親が代わりに、薬だけ処方してもらってきたのですが、それも徐々に薬をのむのすら怖くなり、勝手に薬を止めてしまいました。
それまでは療養、という名目がありましたが、そこからはただの無職なひきこもり生活の始まりです。
無職になって7か月、通院を初めて4か月ほどの出来事でした。
正直ここからの2か月ほどのことは、ほとんど記憶に残っていません。
記憶にないとか、忘れたとかではなく。
ほんとに何もしていないのです。
通院初めのころは必要だった睡眠導入剤も、途中で卒業できていたし、眠れなかった記憶はないので、しっかり睡眠はとっていたと思います。
でも何をした、とか。何をしなかった。という記憶は一切なく。
ほんとに何もしていなかったのでしょう。
この2か月ほどのことは、本当に悔やまれますし、この期間のことだけは一生忘れないと思います。もちろん悪い思い出としてです。
その後、なんとかやりなおそうと決意をし、病院を変えて再度通院生活を始めることになります。11月末のことで、それが今通ってる病院と先生との出会いです。
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