人生最後の長い長い夏休みー30歳からはじまる双極性障害Ⅱ型との付き合い方ー

29歳の私。病気が原因の退職ではなかったはずなのに、実は病気だった。。。それからの私の病気との付き合い方。社会復帰への道。もっと昔から病気の兆しがあったのかも。両親の理解と両親への感謝。などなど

社会復帰への道15日目

今月の初めよりジョブカフェに通っています。


直近の目標はパートとして復帰することなのですが、ゆくゆくは正社員として就職することを目指しております。


30代独身女には、現実しか待っていませんからね。大手勤めの男性と結婚して、療養専業主婦になれると思いません。


ジョブカフェでは34歳以下の人を対象にキャリアコンサルタントさんが無料で就職相談をしてくれます。


今日はその3回目(自己分析第2回)、、、のはずでしたが、急遽祖父が入院することになったので、明日に変更してもらいました。
ですが、もともと今日は就職相談とは別に臨床心理士さんとの面談も予約していたので、こちらだけお願いすることにしました。(心理士さんがくるのは月に1日だそうなので。)


面談初回にわたしは現況をすべてぶちまけました。
病気で療養中であること。(あったこと。)
働きに出ることや失敗がこわいこと。
無職期間が長いこと。


キャリアコンサルタントさんは、あくまで就業を目指すことをサポートしてくれるので、病気うんぬんは門外漢。病気治してからがいいんじゃないのー、と。


まぁ、当然のご意見ですよね。おっしゃる通りです。


とはいいつつ、やんわり就業への準備に向けて、ご協力いただくことになりました。


同時に、毎月1回臨床心理士さんがきてくれる日があるということで、精神的なケアはこちらでカウンセルしてもらったらどうですか?とのことで、その分も予約。


初回相談日から2週間後。かつちょうど1回通院日を挟むので、日取りとしてはよいかな、と。



とゆーわけで、今日心理士さんの面談初回日でした。


60歳くらいの、男性の方でした。
てっきり女性かと思っていたので、内心かなりどぎまぎしながら、経緯を説明。


今日の体調も特に問題はなく、心配していたようなうまくお話が出来ないとか、突然かーっとなるとか、早口になるとかいったこともなく、お話しできました。


・考えすぎて眠れなくなることがある
→眠れないときは無理に寝ようとしなくていい。
→運動してみるとか、身体を動かして夜眠れる習慣を作るのがいい。
というアドバイスはいただけましたが、


・ミスや人間関係への不安から、仕事をはじめることができない
という問いを何度かしたのですが、やんわり流されてアドバイスをもらえませんでした。


わたしは仕事うんぬんは門外漢、ということなのでしょうか。


あとは、
親以外にも話ができる人をつくったほうがいい
というアドバイス。


分かってはいるんですけどね。。。これについては。


無職になってから、病気になってから、ひきこもりになってから、、、
だんだん話をする以前に、声をかけることすらできなくなっていました。


典型的なひきこもり悪化事例です。


うつ症状がひどかったころは、外に出るのも億劫。知人に会うのも怖い、恥ずかしい。


って思いが非常につよかったのですが、いまは知人に会うのが怖い、恥ずかしいという気持ちは抜けないものの、外に出たいという欲求は取り戻しきています。
こもっているのは勿体ない、と大好きな旅行への意欲も取り戻しつつあります。


いまがチャンスのときなのかもしれません。


可能ならば、いまの状態を維持しつつ、早めの社会復帰を目指したいです。



臨床心理士さんとの次回の面談は未定です。くるのは来年1/19だそうですが、どうしようかな・・・。

無職317日目/通院1日目へのプロローグ(~2017/11/27)

こんばんは。


さっきカウントしてみて、自分でも驚きました。


実のところ、わたしはいままで3度があるうえ、いずれも次が決まらないまま(決めないで)退職しているので無職だった期間がその都度あったのですが、こんなに長い期間無職なのは初めてです。


タイトルは美化しすぎ感ありまくりで、ぶっちゃけただのニートな引きこもり、です。


もちろん病気療養してる期間も含まれるのですが、そんなの世間の皆様には知ったこっちゃないですよね。



療養中に勝手に通院と薬を止めたこともあります。
無職になって半年が過ぎた8月末ごろのことです。


通院を始めたのは、仕事を辞めてすぐではなく、しばらくたってからの5月からなので、通院期間としてはわずか100日ほど。


薬と通院を止めるきっかけになったのは、その1か月ほど前の7月下旬。


このときわたしは双極性障害の診断を受けてはいましたが、仕事に関してはやりたいことがあるんだったらやったらいいよ、と先生から言われていました。


とゆーか、やりたい仕事をみつけて、ここで働きたい、という気持ちをもつことができていました。


このときの薬は、
ラミクタールとサインバルタで、月1回の通院で徐々に摂取量を増やしている段階。
症状をみつつMax量まで増やしたら、今度はどんどん減らしていく。という説明を受けていました。


まだ寛解の段階にすらいってなかったのですが、病気うんぬんよりやりたい仕事につけるチャンスだ、と思っており、身体のことは鑑みていませんでした。


そしてなにより、無職半年ということが焦りを生んでいたのは確かです。
この類の病気には焦りが一番いけない、ということをいまいち理解できていなかったのです。


書類選考も通り、面接もわたしとしては手ごたえはよかったように思います。


ただ、病気を隠して仕事につく、ということは避けたかったので、ぼんやりとですが、そのことも伝えました。
精神的な病気でしばらく休養していたこと。
月1で通院が必要なこと。
主治医からは就業のOKをもらっていること。
などなど。


それに関して、つっこんだことは聞かれませんでしたし、
わたしとしても、そういうことに理解のある職場がいい、と思っていましたので、クローズはしませんでした。


面接を終え、その2週間ほど後に職場見学もしました。


これはぶっちゃけ決まっただろう!と鷹をくくっていました。



・・・結果は不合格。お盆を挟んだこともあって、結果の連絡が来たのは職場見学から3週間ほどたってから。トータルで1か月ほどかかってしまいました。



その間に受けていたのはここだけでしたし、病は気からとでもいいますか興味のある仕事ができると思っていたわたしは、うつ症状もほとんどなく、ここ4か月の中ではいちばん元気そうにしていたと、両親はいいます。


この不合格はそんなわたしをうつスパイラルに引き戻すきっかけになりました。


この結果の翌週に受診の予約をしていたのですが、わたしはいけませんでした。


絶対にいかない、と言いはり、家から出ようとしなかったそうです。


仕事が決まらなかったことを病気の、そして先生のせいにしてしまったのです。


病気じゃなかったら、先生があんな診断を下さなきゃ、通院してなかったら、薬を飲んでなきゃ・・・


結局母親が代わりに、薬だけ処方してもらってきたのですが、それも徐々に薬をのむのすら怖くなり、勝手に薬を止めてしまいました。


それまでは療養、という名目がありましたが、そこからはただの無職なひきこもり生活の始まりです。


無職になって7か月、通院を初めて4か月ほどの出来事でした。


正直ここからの2か月ほどのことは、ほとんど記憶に残っていません。
記憶にないとか、忘れたとかではなく。
ほんとに何もしていないのです。


通院初めのころは必要だった睡眠導入剤も、途中で卒業できていたし、眠れなかった記憶はないので、しっかり睡眠はとっていたと思います。


でも何をした、とか。何をしなかった。という記憶は一切なく。


ほんとに何もしていなかったのでしょう。


この2か月ほどのことは、本当に悔やまれますし、この期間のことだけは一生忘れないと思います。もちろん悪い思い出としてです。


その後、なんとかやりなおそうと決意をし、病院を変えて再度通院生活を始めることになります。11月末のことで、それが今通ってる病院と先生との出会いです。

旧:通院1日目へのプロローグ(~2017/5/8)

こんにちは。


今日は1日上がることも下がることもなく、過ごすことが出来てます。


ので、過去を振り返ってみたいと思います。



わたしが最初に心療内科に通院をしたのは、いまから220日ほど前の今年の5月です。


そのときわたしは1月末で仕事を辞めて求職中でした。


前職は旅行会社で、といってもまだ勤めて10か月ほどのスピード退職。実はこれが3回目の転職で、いまは4回目の転職になるところでした。


仕事を辞めた理由は様々ですが、この前職に関しては人間関係によるもの。
もともと自分を含め3人しかいない営業所(2人は古株)で、逃げ場がなかったのです。


仕事上のミスをさんざん指摘されて、わずかな期間でしたが、身も心もすり減っていました。
詳しくはまた別の機会に書くことにします。


そんなわけで、特に未練もなく退職をしたのですが、実はこの段階では病気の診断はおろか、通院もしていませんでしたし、周りも含め自分が病気だなんてこれっぽっちも思っていませんでした。


ミスの指摘の多さにも、「いや、細かすぎるやろっ」とむしろ相手に非があると思っていたくらい元気だったんです。



退職後は意気揚々とハローワークに出向き、仕事を探したり、家の近くにあるなら派遣でもいいや~、とさくさく仕事探しをしていました。


退職日直前くらいに目をつけていた気になるお仕事があったのですが、そこは書類選考で落とされてしまい、数日落ち込んだこともありました。


それでもなんとか仕事を探し、なんとか無事正社員の仕事が決まったのが確か3月の中頃。
地元の中小企業での事務だったんですが、家からも近く、福利厚生も特に問題なし。
転職続きのわたしを採用してもらったことに感謝しました。




・・・が。
その後わたしがこの会社に勤めることはありませんでした。


入社日の1週間ほど前から、仕事に行くことが怖くて怖くて怖くて、たまらなくなってしまったからです。


「行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない・・・・」


毎日呪文のようにぶつぶつつぶやいたり、泣きわめく日が続きました。



行かなくちゃ、という気持ちと
行きたくない、という気持ちが混ざり合い、なんとも言えない日々を過ごしていました。


最終的に、こちらの会社は直前に辞退をするということになったのです。



そして、1度あったことは2度あるというべきか。


翌月4月半ばに再び仕事が決まりました。
今度は契約社員のお仕事です。


家からも近く、福利厚生もよい。
正社員というプレッシャーもなく、のびのび仕事ができそうだ。大手の子会社だし。



・・・が。
その後わたしはこの会社にも勤めることはありませんでした。



「行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない・・・・」


ここは、入社がGW明けの予定だったのですが、こんな状態が続きました。



わたしはそもそも働きたくないのだろうか。
しばらく働いていなかったから、働く気になれないだけだろうか。


と、冷静になったときに考えることもありましたが、
それ以上になにかこう体につきまとう不安や恐怖みたいなものを感じるようになっていました。




見かねた母親に受診を進められたのが4月の終わりごろ。
叔母おすすめの病院が2つあったのですが、近い日付で予約がとれたクリニックの心療内科を受診することになりました。
といっても、GWを挟んでいることもあり、約10日ほど先。


さらに言えば、まさか自分が心療内科や精神科にいくことになるなんて想像もしていなかったため、その事実に落ち込んでしまいました。
病気だなんて思ってないし、思いたくないし、病人扱いされるのもごめんだし。
でも、ただの求職ストレスにしてはおかしいよな、という考えもほんの少しあり。


(病気じゃなかったとしても、)話聞いてもらったら楽になるよ。ついでに元気になるお薬もらってくればいい。


という母の言葉に、思い切って診断を受けることに決めました。



それが今から7か月前のことで、ここからわたしの療養生活も始まりました。